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「建築の旅」22

2023.01.20 建築の旅

こんにちは。
今回からイタリアを訪れます。

アメリカ留学時の設計課題の合評会で、学生が自分の提案の趣旨を説明するのに建築の古い歴史を引き合いに出し、「建築は古代から近代にこのように変化してきたから、私は現代の建築のあり方をこのように考えます...」と、自分の案が歴史のなかでどのように位置付くのかを滔々と語るのをたびたび目にすることがあり、とても驚いたのを覚えています。
(↑留学時の合評会でヘルツベルハーという建築家に講評を受けている私。)

その頃の自分にとって古い建築の歴史と現代の建築のあり方とはあまり関係がないという思いがあり、そのような説明の仕方は思いもよりませんでした。
しかし考えてみればこれは第二次大戦の前と後で歴史観が不連続になっている戦後生まれの日本人固有の考え方なのかもしれず、欧米の学生たちにとっては古建築も現代建築も同じ流れの中にあるものなのでしょう。

いずれにせよ、近代建築の短い歴史の中でしか思考できないでいた自分の考えがとても偏狭だと感じ、日本が明治以降大きな影響を受けてきた西洋の建築と文明の源流と本質はしっかりと見極めておく必要があると痛感しました。

そこで、1981年、約4年間のアメリカ留学を終え日本に帰国する途中、1 か月ほどかけて西洋古建築の宝庫であるイタリアを見て回ることにしました。

今回からお見せするスライドは今から40年前、その時に撮ったものです。

見て回った順よりも歴史が古い順の方が分かりやすいので、まずは今から約2000年前の古代ローマの遺跡から紹介します。
まずはあの有名なパンテオンから。
これは古代ローマの全盛期、紀元125年にハドリアヌス帝により建築されました。今から2000年近くも前にこのような建築が出来、しかもそれが当時と全く変わらない形でいまでも残っていること自体がまず驚きですよね。
内部空間の素晴らしさは言うまでもありません。感動的です。

ドームは直径も高さも43.3m。
球体がすっぽり入るプロポーションで設計されているせいでしょうか、中に入ると、私たち全てを覆っている世界(宇宙)の摂理を感じさせてくれるような壮大な空間です。元は当時多神教だったローマの神々を祀る神殿としてつくられました。

構造はレンガを型枠にしたコンクリート造で、現代のコンクリート造と違い鉄筋を使わないので2000年も持つんですよね。
構造だけでなく、装飾もしつこくなくて素敵です。
床の石の貼り分けのパターンも美しく、見事でした。


この唯一無二の名建築が生み出されるまでにはいくつかの原型があったと言われています。その一つは古代ローマ第一代皇帝、アウグストゥスの墓廟で、パンテオンより50年ほど前に作られました。
直径は90mありますが、同心円状の壁が立ち上がり、中央に円錐形の屋根がかかっていたといわれていますが、内部空間はパンテオンのようにダイナミックではなかったようです。

もうひとつはローマの近郊、アッピア街道沿いにあるチェチリア・メテッラの墓廟です。
四角形の基壇に直径が20mの円筒形の本体がのる形の建築で、紀元前50年頃、アウグストゥスの墓廟とほぼ同じ時期の建築です。
ちなみにこの墓は若くして亡くなったチェチリア・メテッラという女性のために、夫と父によりつくられました。

内部空間は、中央に円錐形の墓室があるのみで、ほとんどは分厚い壁という原初的建築ですが、円錐形の頂部から降り注ぐ光は息を呑む美しさでした。
おそらく横穴状の入り口から正面に見えるニッチには彼女の彫像が置かれていたのでしょう。そして見下ろした床には棺が安置されていたのかもしれません。

歴代の古代ローマ皇帝たちは競い合うようにローマ中心部の整備と再開発を行いますが、その成果は今でもフォロロマーノの遺跡にみることができます。
これはトラヤヌス帝の時代に作られた商業施設。
ショッピングモールですね。

入り口の一つ一つが店だったみたいです。
おそらく2000年前も沢山の人でごった返していたことでしょう。時を超えて想像が膨らむのが、遺跡めぐりの楽しいところですね。

次回も引き続き古代ローマの遺跡を訪れます。
ではお楽しみに。

(横内)